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東京地方裁判所 昭和28年(ワ)3719号 判決

原告 脇坂善二

被告 石崎ムメ 外九名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、被告等は原告に対し、東京都葛飾区小菅町四八一番地所在、家屋番号同町二七番、木造瓦葺平家建店舗居宅一棟建坪二一坪の内向つて右側の一戸建坪約一〇坪五合(但し畳、建具その他造作一式並びに電燈、水道附)を明け渡すべし、訴訟費用は被告等の負担とする、との判決及び担保を条件とする仮執行の宣言を求め、請求の原因として次のとおり述べた。

一、前示家屋は原告の養父脇坂善太郎の所有であつたが、昭和一七年三月二四日同人が隠居したので、原告は即日家督相続をして、右家屋の所有者となつた。

二、原告先代善太郎は、昭和一五年六月一七日、被告等先代石崎徳太郎に対し右家屋を、賃料一カ月金一八円、毎月末日払の約で、期間の定めなく、かつ賃料を期日に支払わないときは、催告を要しないで契約を解除され、賃借家屋の返還を請求されても異議がないことの特約附で賃貸し、原告は前記家督相続によつて、右賃貸借契約の賃貸人たる権利を承継した。そして右賃貸借の賃料の定めは、昭和二七年初頃から月八〇〇円、昭和二八年一月から月一、三〇〇円に改定され(いずれも賃料統制額の範囲内である。)、また賃借人である徳太郎は昭和二八年七月二六日死亡したので、被告ムメはその妻として、その他の被告等は子として、共同して相続により右賃貸借の賃借人たる義務を承継した。たゞし、被告等のうちムメ、喜一郎、正一、ハツイ、よね子、美代子、三鶴及び照子の八名のみが現に右家屋を占有している。

三、被告等先代徳太郎は、昭和二七年一〇月までの賃料及び同年一一月分のうち金一〇〇円を支払つたゞけで、その後の賃料を支払わない。原告は同人に対し、昭和二七年一二月三一日、翌二八年二月二七日、三月二〇日及び同月二五日の四回にわたつて、早くお支払い願わなくては困る旨反覆して履行の催告をしたが、ついにその履行がないので、昭和二八年四月七日被告等先代に対し、右債務不履行を原因として賃貸借契約を解除するとの書面による意思表示を発し、その書面は同日被告等先代に到達した。

(一)  元来原告と被告等先代との本件賃貸借契約には、賃借人が賃料を期日に支払わないときは、催告を要しないで契約を解除できる旨の特約があることは前記のとおりであつて、原告の右契約解除の意思表示は右特約にもとづきされたもので、したがつて、これによつて賃貸借契約は終了した。

(二)  仮に右主張が理由がないとしても、原告は前記のとおり四回にわたつて被告等先代に対し履行の催告をしている。早く払つてもらいたいということは、相当の期間を定めたものとみるべきである。

仮にこれが相当の期間を定めた催告といえないとしても、その後相当の期間が経過したが、債務の履行がなかつたので、原告の契約解除は有効である。

いずれにするも、本件賃貸借契約は原告の前記契約解除によつて終了した。よつて原告は賃借人の相続人である被告等に対して右家屋の明渡を求める。

かように述べ、被告等の抗弁に対しては、

「被告等の主張はすべて争う。

原告が賃料支払の期日を猶予していたというような事実はない。被告等の主張する、三カ月分、四カ月分、或いは半年分とまとめて払つてきたということは、被告等先代がいかに賃料の支払について懈怠を重ね、原告の手をやかせていたかを如実に示すものというべく、かような履行遅滞があればこそ、原告はやむなく契約解除の決意をなすに至つたものである。

また、被告ムメが前記契約解除の書面が到達した前日に延滞賃料を支払うべく、原告方に持参したということも、虚偽である。同人が延滞賃料を原告方に持参したのは、右書面到達の翌日、すなわち四月八日のことである。」と答えた。〈立証省略〉

被告等訴訟代理人は、主文通りの判決を求め、次のとおり答弁した。

一、原告主張事実中、原告が養父善太郎の隠居によつて原告主張の家屋の所有者となつたこと、被告等先代徳太郎が右善太郎から原告主張通りの約束で右家屋を賃借し、原告及び被告等がそれぞれ相続によつて右賃貸借の当事者の権利義務を承継したこと、右賃貸借の賃料が原告主張のとおり改定され、それが統制額の範囲内であること、原告主張の日にその主張のような内容の書面が到達したこと、及び被告等のうち原告主張の八名が現に右家屋を占有していることは認めるが、その他の事実は否認する。特に被告等先代は原告からその主張するような賃料債務履行の催告をうけたことはない。

二、本件賃貸借における原告主張の特約は終戦後改定され、しからずとするも事情の変更によつてその効力を失つた。仮になお効力を存するとするも、原告のこれによる契約解除は権利の乱用であつて、その効果がない。その理由は次のとおりである。

被告等先代は、終戦までは当初の約旨通り毎月末日限り賃料を支払つてきたが、終戦後はその金額が比較的僅少なものとなつてきたし、また家主との間も従来懇意な関係であつたところから、三カ月分、四カ月分或いは半年分ぐらいまとめて払つてきたが、原告は何ら異議をはさむことなくこれを受領し、かつ一言の催告をすることもなかつた。

昭和二七年五月上旬原告から被告等先代に対し、本件家屋の裏に池があるが、これを四〇坪ほど埋め立てゝ、そこに本件家屋を引き移したい、そうすると現在の場所が約四〇坪空くが、そこに一棟二戸建を直ちに建設し、その一戸を従来通りの約束で賃貸するから、一時埋立地に引家のことを承諾してもらいたい、との申出があつた。被告等先代は銅鉄商を営んでおり、営業上表通りに居住することを必要としたのであるが、暫時の間なら奥に移ることもやむなしとして、これを承諾し、同年六月四日埋立が完了したところに本件家屋を引家して、爾来、被告等はここに居住してきた。しかるに原告は右家屋のもとの敷地に新家屋を建設することを遷延し、被告等先代から営業上の必要もあるので、一、二度これを要求したが、工事に着手しないで今日に至つている。

昭和二八年に入り、被告等先代から原告に対し更に新家屋の建設を促進されたい旨申し入れ、その時多少強く要求したところ、それが原因か、同年四月六日被告ウメが原告方におもむき、同年一月から三月分までの賃料として金四、〇〇〇円を現実に提供したが、原告にこれが受領を拒まれた。そこで被告等先代は同月二八日同年一月から四月までの賃料として計金三、二〇〇円を原告に対し弁済のため供託した。もつともそのときその事に当つた被告喜一郎が同年一月からの賃料改定を知らなかつたので、従来通りの月額八〇〇円の割合で供託したのであるが、のちにムメから右改定のことを聞いたので、同年五月二七日、五月分一、三〇〇円に一月分から四月分までの差額二、〇〇〇円及び支払があつたかどうか不明確であつた昭和二七年一二月分八〇〇円を加算した計金四、一〇〇円を弁済のため供託した。

かような次第で、原告主張の特約は終戦後改定されたものというべく、たとえこれが改定されていないとしても、右特約の結ばれた昭和一五年当時と現時の借家関係は著しく事情を異にするので、このように家主を一方的に優位におき、借家人に苛酷な契約条項は、もはやその効力を有していないものと解するを相当とする。仮に右特約が今日もなお形式的に効力を存しているとしても、前記のような本件当事者間の関係において原告が右特約に基く解除権を行使することは、権利の乱用であつて、契約解除の効果を生じない。

三、原告が被告等先代の賃料債務不履行を原因として本件賃貸借契約を解除しようとするならば、その前提として相当の期間を定めて履行の催告をなすべきであるのに、本件においては履行の催告だにあれば直ちに履行のあることは明白であるため、何らの催告なくして直ちに契約解除に及んだというのが事実であつて、原告がその主張のごとき催告をしたというのは虚構である。万一右契約解除がその前提要件に欠けるところがないとしても、前記のような本件当事者間の関係において、いわんや僅かに三カ月間の遅滞を以て、しかも被告等先代が現実に履行の提供をしたにかゝわらず受領を拒絶し、契約解除のうえ明渡を強行しようとするのは、賃貸借のような継続的給付関係において賃貸人としての権利を誠実に行使するものは言い得ず、権利の乱用であることは明らかである。

以上の理由によつて原告の本訴請求に応ずることができない。

かように答えた。〈立証省略〉

理由

一、原告主張の家屋はもと原告の養父脇坂善太郎の所有であつたが、昭和一七年三月二四日その隠居によつて原告が家督を相続し、右家屋の所有者となつたこと、被告等先代石崎徳太郎は昭和一五年六月一七日原告先代善太郎から右家屋を、賃料一カ月につき金一八円、毎月末日支払の約で、期間の定めなく、かつ賃借人が賃料を期日に支払わないときは催告を要せず契約を解除されても異議がないことの特約附で賃貸し、原告が前記家督相続によつてその賃貸人たる権利を承継したこと、右賃貸借の賃料が昭和二七年初頃から月八〇〇円に、昭和二八年一月から月一、三〇〇円にそれぞれ改定され、それがいずれも賃料統制額の範囲内であること、昭和二八年四月七日附書面で原告から被告等先代に対し、賃料債務の不履行を原因として賃貸借契約解除の意思表示がされ、それが同日被告等先代に到達したこと、及び被告等先代は同年七月二六日死亡したので、被告ムメはその妻として、その他の被告等は子として共同して前記賃貸借の賃借人の義務を相続によつて承継したことは、当事者間に争いがなく、原告本人尋問の結果によれば、被告等先代は昭和二七年一二月末日に原告に金四、八〇〇円を支払つたが、その時に六カ月分の賃料を滞納していたのみならず、被告等先代は同年七月から一〇月まで三回にわたつて、その飲酒代のため、家賃とともに返済する約束で原告から計金一、五〇〇円を借り受けていたので、まずその支払に充当し、残金三、三〇〇円を同年七月から一〇月まで四カ月の賃料及び一一月分のうち金一〇〇円の支払にあて、一一月分残金七〇〇円及び同年一二月分以降の賃料債務が不履行になつていたことが明らかである。

二、被告等は、一回でも賃料の遅滞があれば催告を要せず賃貸借を解除できるという前記特約は改定又は事情変更によつて失効したと主張するので、まずこの点について考える。およそ賃貸借のような継続的関係において、かゝる趣旨の特約は、よし例文でないとするも、賃借人にとつてかなり酷な約束であつて、その効果の発生し維持されるためには、当該具体的な契約関係について、特にこのような特約がされてしかるべき裏づけの事情の存在が必要であると解することが相当である。ところで真正に成立したことについて争いのない甲第一号証に原告並びに被告石崎ムメ及び同喜一郎各本人尋問の結果を合せ考えれば、次のような事実を認めることができる。

被告等先代徳太郎はよほど前から本件家屋を賃借していたが、賃料の滞納を生じたので、その整理のため、昭和一五年六月一七日、原告先代善太郎との間に公正証書を作成して、延滞賃料の分割弁済を約するとともに、改めて前記のとおりの約束で賃貸借契約を結んだ。すなわち、右公正証書によれば、賃料を一カ月につき金一八円と定め、毎月末日限り賃貸人の住所において支払うべく、賃借人が前記延滞賃料の分割弁済又はその後の賃料の支払を遅滞したときは賃貸人は催告を要せずして賃貸借を解除できる旨の特約がされており、被告等先代も当初はおおむねこの約束通り、賃料の毎月支払を励行してきた。けれども終戦前後からその支払方法もみだれて、数ケ月分を一括支払うようになり、先代の隠居で賃貸人の地位を承継した原告も特に異議をさしはさむことなくこれらの支払を受領していた。昭和二七年五月初頃原告は本件家屋の当時の敷地の裏にある池を埋め立てゝ、そこに本件家屋を移動したが、そういうこともあつて同年暮には六カ月分の賃料の未払があつた。そこで同年一二月三一日被告ムメは六カ月分賃料として金四、八〇〇円(当時月額八〇〇円)を原告方に持参させたが、原告はこれよりさき被告等先代に飲酒代金支払のため、三回に計金一、五〇〇円を貸したので、まずその支払に充当し、残余の金三、三〇〇円のみを延滞賃料の支払にあてた。その後原告は使いの者をやつて昭和二八年一月からの賃料を月額一、三〇〇円に増額する旨申し出で、この申出をうけた被告ムメも暗にこれを了承した。その際、またその後も一、二回原告から賃料の支払を求めたが、それは別に前記公正証書の契約解除の特約について注意をよび起させるような程度のものではなかつた。昭和二八年四月七日原告からの契約解除の書面に接し、驚いて被告ウメが原告方におもむき延滞賃料債務の履行の提供をしたが、原告は受領を拒絶した。

このように認めることができる。被告石崎ムメは右履行の提供は契約解除の書面の到達する前であつたと供述するが、原告本人の供述と対照し、また前後の事情から考えても、それは右書面到達の直後であると認めるのが相当である。その他右認定をくつがえすに足る証拠はない。

さて、右認定事実を検討するに、契約解除に関する前示特約は、たとえ当初においてはこのような契約をなすべき特別の事情が存在し、有効に成立したとしても、その後の当事者間の支払慣行によつて、暗黙に改定されたものと認めるのが相当である。右契約のときから、すでに十数年を経過し、その間には戦争に伴う経済上の大変革をも経験した。賃料の停止統制額が比較的少額であつた関係もあつたであろうと推測されるが、数カ月の賃料をまとめて払うようになり、賃貸人のほうでもかような支払方法について警告を発した形跡がみとめられないのであるから、かゝる支払状況の相当継続したのちにおいて、一回の履行遅滞があれば催告なくして直ちに契約解除をなしうるとの特約の効果を主張することは、むしろ当事者の予期に反するものといわなくてはならない。原告が被告等先代に飲酒代金を貸し、その後賃料支払のため持参した金のうちからまず右貸金の弁済をうけたことなども、前記のような被告等の賃料債務の不規則な履行状況を深くとがめる態度とも見られないのである。

原告主張の特約はすでに失効したものというべく、右特約に基く契約解除によつて本件賃貸借契約が終了したとする原告の主張は理由がない。

三、次に、前掲各証拠によれば、本件最後の賃料改定の前後において賃料支払の催告があつたと認めるのが相当である。この点についても被告ムメは全然催告がなかつたと供述しているが、明示にせよ暗黙にせよ、履行遅滞後において、賃料増額の交渉のみがあつて、履行の催告がなかつたということは信ぜられない。たゞこの場合の催告が契約解除を予想させるほどの強い催告ではなかつたことは、右各証拠によつて明らかであり、それが原告主張のような相当の期間を定めたものであつたことは、これを認むべき証拠がない。

もつとも、相当の期間を定めない催告といえども、催告後相当の期間を経過してなお履行のないときは、契約解除にさまたげないものというべきであるが、被告等先代は原告から契約解除の書面が到達するや、直ちに延滞賃料債務の履行の提供をして、その受領を拒絶されたことは前記認定のとおりである。従来賃料の支払時期がそれほど厳格に守られておらず、またその後においてされた催告も、特に相当の期間を定めることもなく、また契約解除の前提となるべきことの注意をよび起すほどのものでもなければ、賃借人のほうでも、その催告を軽くきゝ流すこともありがちである。かような程度の催告を前提としてされた契約解除の直後において債務履行の提供があつたとき、なお契約解除の効果を主張することは、契約関係を支配する信義則に照し、許されないものといわなくてはならない。要するに本件において原告がした催告の性質と、契約解除の直後債務履行の提供のあつた事実とを考え合せて、原告の契約解除の主張は催告を前提とする点においても理由がないものというべきである。

四、いずれの点よりするも原告の請求を理由がないものと認め、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 入山実)

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